バラ色日報・土曜日 やっぱりドーパミンのせいだった


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昨日、必死のパッチ(バラ色日報参照)で書き上げた読書日記。
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実は、読んだ時には気づかず、ブログ記事を書くために読み返して初めて気づいたことがありました。

それが、
「あちこちのリンクをクリックして記事を渡り歩くのも、ドーパミンの快楽を求める行動だ」
という事実。


ソーシャルメディアの「いいねボタン」が気になって見続けてしまう話はよく聞きますよね。

ところが、私がやめられない
「検索してあるサイトを見始めたのに、気がついたらどんどんクリックしてページを読みあさっていた」
という行動も、同じくドーパミンを求める結果なのだとか。


「うわー、ショック」と思いました。
そして、その読書日記をUPしたそばから、またもネットの海に漕ぎ出してしまいました…。
――たまたま、Twitterで見た衝撃的なニュースがトリガー*1


その時に気がつきました。
大騒ぎになったニュースも、私にはきっかけでしかなかったことに。

ものすごく失礼な言い方になってしまいますが、何でもよかったんです。
刺激になればそれで。


最初はシンプルに「なぜ?どうして?」とか「背景が知りたい」と思っていたのに、だんだん感情の落差を求めている自分に気がつきました。


そう、あれです。小池龍之介さんの著書によく出てくる
「苦痛と苦痛の落差が快楽をもたらしている」
というしくみ。
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感情の動きが激しければ激しいほど落差が生まれ、ドーパミンが出る。
ジェットコースターのように落差があるほど、快楽も大きい。


つまり、表面的には「知的な疑問による行動」に見えていても、実は「ドーパミンを求める行動」だった。

頭では理解していましたが、「こういうことか」と初めて納得できた気がします。
「ああ、これはドーパミンを求めているな、じゃあしょうがないわ」
と素直に思えました。


ドーパミンは別名「脳内麻薬」です。ドーパミンを欲しがるのは、もはや依存症の一種。

依存症を克服するには、どうするか。
基本的には、依存する対象を遠ざけるしかありません。

「ほどほどに楽しむ」が一番むずかしいと言われます。


やっぱり「デジタル片づけ」が必要なんだ、と改めて実感できました。
自覚が持てたのは大きい。

ネットを使う時は、自分の行動が「ドーパミン欲しさ」から来ていないか、常にチェックします。

*1:だからPCでTwitterを開くなと言っているのに